ジャータカ物語

No.103(2008年7月号)

スマンガラ物語

Sumaṅgala jātaka(No.420) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダが祇園精舎でコーサラ王に語られたお話です。

昔々、菩薩はバーラーナシーの王であり、慈悲深く国を治めていました。その頃、一人の独覚仏陀が雪山に住んでいました。ある時、独覚仏陀は托鉢のために山から下りてバーラーナシーの街で托鉢していました。その立ち居振る舞いを見て心が清められた王は、独覚仏陀を城に招いてさまざまなごちそうでもてなし、法話を聴きました。聖者に城の御苑に滞在してもらおうと決めた王は、それを申し出て承諾を得、翌朝自ら御苑に赴き、細かい気配りをもって準備を整えました。王は、スマンガラという名の庭師に独覚仏陀に仕えるように命じました。

それから独覚仏陀は御苑に滞在してお城で王自らの手による食事のお布施を受け、毎日のように王と親しく話を交わすようになりました。スマンガラは、心を込めて聖者のお世話をしました。

ある日、独覚仏陀はスマンガラに、「私は用事である村に行き、そこにしばらく滞在してから戻ります」と告げて御苑を出ました。数日後、独覚仏陀は日が暮れてから御苑に戻り、平たい石の上に坐って禅定に入りました。スマンガラは独覚仏陀が戻ったことは知らぬまま、自分の仕事を終えて自宅に帰りました。

ちょうどその夜、スマンガラの家に何人かの人々が来ることになりました。スマンガラは鹿肉のごちそうで客人をもてなそうと思い、弓を携えて御苑に戻りました。スマンガラは、暗闇の中に坐っている独覚仏陀を見て「鹿だ」と思い、力一杯矢を放ちました。矢は独覚仏陀に命中しました。独覚仏陀はスマンガラを見て、「スマンガラよ」と言いました。スマンガラはものすごく驚いてあわてふためき、「尊者、お帰りになっていたのですか? そうとは知らず、鹿と間違って、たいへんなことをしてしまいました。お赦しくださいませ」とひれ伏して、自分がしたことのあまりの怖ろしさに震えながら詫びました。独覚仏陀は、「よい。今となっては仕方がない。さあ、矢を抜き取っておくれ」と言いました。スマンガラはうやうやしく矢を抜き取りました。独覚仏陀に強い痛みが生じ、聖者はそのまますぐに涅槃に入られました。庭師は「このことを王様がお知りになったら、決して私を赦してはくださらないだろう」と怖れ、妻子を連れて逃亡しました。

独覚仏陀が涅槃に入られると、それを知った神々の神通力で街中に大きな嘆きの波が起こり、人々は聖者の死をさとりました。翌日、街の人々は次々と御苑を訪れ、独覚仏陀の亡骸を礼拝しました。王は、たくさんの家臣たちを連れて御苑を訪れ、七日七晩にわたる弔いの供養を執り行い、独覚仏陀を荼毘に附して骨を塔に祀りました。

それから一年が経ちました。スマンガラは、そろそろほとぼりが冷めたか確かめるために街へ戻り、親しかった仲間の一人に「王様のお気持ちを確かめてきてくれないか」と頼みました。仲間は王のところに行って、世間話のようにしてスマンガラの話をしました。王は、まるで話が聞こえないかのように、黙っていました。仲間は、それ以上は何も語らずに引き下がり、スマンガラに王の様子を伝えました。

それからまた一年が経ち、スマンガラは再び仲間のところを訪れました。仲間は一年前と同じように王のところに行って、スマンガラの話をしました。王は、やはり、話が聞こえないかのように黙っていました。仲間は、それ以上は何も語らずに引き下がり、スマンガラに王の様子を話しました。

それからまた一年が経って、スマンガラは今度は妻子を連れて街を訪れました。仲間は王のところに行って、スマンガラの話をしました。すると王は、穏やかにスマンガラの話に応じたのです。そこで仲間は、スマンガラを王宮に連れてきて、王にスマンガラが戻って来たことを告げました。

王はスマンガラを呼び、「スマンガラよ、なぜおまえは、私の福田であった聖者を殺してしまったのか」と尋ねました。スマンガラは「大王様、私は独覚仏陀様を殺そうなどという気持ちは微塵もございませんでした。御苑にお戻りになっていることを知らず、客人をもてなすための鹿肉を得ようとして、誤って弓を放ってしまったのでございます」と述べました。それを聞いた王は、「そうか。では、そのことについて、おまえは心配することはない」とスマンガラを赦し、再び庭師として彼を雇いました。

スマンガラの仲間は王に尋ねました。「王様、一年前も、二年前も、私がスマンガラのことをお話ししても、まるでお聞きになっておられないように何もおっしゃいませんでした。それはなぜでございましょう。また、どうして三年目の今、スマンガラとお会いになったのでございますか」。

王は、「王というものは、怒りがあるうちは、何ごとも急いでやるべきではない。余は、以前は、スマンガラに対して怒りがあった。それゆえ何も語らなかったのだ。今は余の心はやわらいだ。それでスマンガラと会う気になったのだ」と、次の詩句を唱えられました。

怒りありと自ら知りて
王は鞭(むち)をあげるべからず
怒りがあれば、道理なく、自らに不似合いに
いたずらに多くの者に苦をもたらさん

さあれ、自らは穏やかなるを知り
他が悪行を義に照らし
これは義なりと自ら知らば
そのときこそは鞭を正しく用いん

他をも己をも苦しめず
無欲にて、正を非正より分かち
王として鞭を用いるならば
誉れありて、威も落ちず

王の剣を無思慮に用い
気をつけることなく鞭をふるう者
誉れも長寿をも失いて
死後も、悪趣に赴く

聖者の説く法を喜び
行いと言葉とこころを護る者
静けさ保ちて、慈心あり
人の世と天界との二つを制す

われは王なり、男女の主なり
怒りあるときも、よく自らを持し
人民をも制御し
慈悲ありて、正しく鞭を用いん

それを聞いた王の家来たちは深く喜び、「そのような徳行こそ、陛下にふさわしいことでございます」と王の徳を讃えました。スマンガラもたいそう喜んで、王に敬礼して合掌し、次の詩句を唱えました。

威信と栄え、その二つを
庶民の王よ、お捨てになるな
怒りなく、常にこころ穏やかに
百年の寿命を保たれよ

王よ、かかる徳を持し
善行あり、善語にして、怒りなく
安楽にして、害意なく、世を治め
ここを脱してさらにまた、死後も善趣に赴かんことを

かくも善くなされ、説かれたる
法と手だてで導きて
おののき震える庶民を鎮めたまえ
雨雲が乾いた大地を潤すがごとく

お釈迦さまは過去の話を終えられ、「その時のスマンガラはアーナンダであり、スマンガラを赦した王は私であった」と言われて、話しを終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

仏教は解脱の道ばかりを一方的に語る教えではありません。解脱のみを重視すると、解脱に興味を持たない人々には関係のない教えになるのです。その上、仏教は完全たる教えだと言えなくなるのです。ブッダの教えは、人間なら誰にとっても役に立つのです。

人間は様々な問題を抱えて生きているのです。解脱に達するより先に、現実に自分たちが悩まされている問題の解決法を優先にするのです。仏教のアプローチは、できるだけ人々の優先順位を尊重するのです。しかし、人の期待は何でも叶えてあげようとするわけではないのです。非現実的な期待はその場でつぶし、現実的で理性に適った期待は必ず叶うようにと、多くの教えが語られているのです。

政治は人間にとって大きな問題です。悪徳政治家に支配されると、国民は皆、苦しみに陥るのです。一人ひとりがひたむきにいくら頑張っても、政治制度がダメなら、決して幸福にならないのです。釈尊が、天下を取り人を支配管理する政治家に対して、正しい統治を語られたところは少なくありません。「仏教の政治論」と言えるところではないかもしれませんが、政治家の心構えとして教えられたことは、いつの時代でも人の役に立つものです。仏教は俗世間の営みに関わりを持たないので、王制がよいか、民主主義がよいか、などは言いません。現存する政治制度、経済制度は、釈尊にとってはどうでもよいことなのです。それは人間が人間のために築くものなので、時間とともに変化してゆくものです。

しかし、政治制度は何であろうとも、天下を取っている人々がどのような心構えで統治するべきなのかは、教えてあげるのです。ブッダの時代では、王制が主流でしたが、共和制の国もありました。釈尊は両制度の政治家に、正法にのっとって適切に政治をおこなう方法を教えてあげたのです。

この物語で、判断する時の基準を教えているのです。現在でも、政治と言えば、朝から晩まで様々なことを判断する仕事なのです。とにかく天下を取っている人は、判断しなくてはいけないのです。法を破る人々に対する判断は法律制度で行われますが、国民全体的なことになると、政治家が判断しなくてはいけないのです。判断することは、その時の状況や情報に基づくものです。新しい情報が入り次第、前の判断を改良すればよいのです。しかし、間違った判断は禁物です。感情に抑えられて理性を失った時の判断は、決して正しくなりません。傲慢で、見栄で、怒り憎しみで、無知で判断してはならないのです。

菩薩の王は、庭師に対して怒っていた間は何も判断せず、その人は存在もしなかった如く、その問題を据え置きにしたのです。しかし、怒りが消え、庭師もいままで一生懸命王に仕えた人であることを素直に思い出せるようになったところで、庭師が独覚仏陀を殺害した事件を調べたのです。政治家たるものは、無条件で国民を慈しむ義務があるのです。慈しみを失ったら、政治家として失格なのです。現代でも、世界の政治家が、自分の利益のみを考えることを止めて人類のことを慈しむならば、憐れむならば、次から次へと現れるいかなる問題にでも、解決策を簡単に見つけられることでしょう。

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