ジャータカ物語

No.128(2011年4月号)

ケーサヴァ仙人とカッパ行者

Kesava jātaka(No.346) 

アルボムッレ・スマナサーラ長老

これは、シャカムニブッダがコーサラ国の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)におられた時のお話です。

その頃、アナータピンディカ長者の家では、毎日毎日五百人分もの食事のお布施が準備され、比丘サンガへの供養が盛大に行われていました。アナータピンディカ長者の家は比丘サンガにとっての泉であり、黄褐色の法衣で光り輝くところ、仙人の風がそよぐところでありました。

ある時、コーサラ王は、都を巡り歩いている折りに、アナータピンディカ長者の家で、比丘サンガへの供養が行われているのを見かけました。その清らかな雰囲気に感銘を受けた王は、「これからはわが城においても、聖なるサンガに毎日供養をすることにしよう」と決め、さっそく、そのことをお釈迦さまにお話しするために、祇園精舎を訪れました。釈尊に近づいて、礼拝した王は、傍らに坐り、これからは毎日、五百人分の食事のお布施をお城で供養することを約束して城に戻りました。

それ以降、お城では、比丘サンガのためのたくさんのごちそうが準備されました。高価なヴァッシカ華の香りのする香米をはじめとして、数々の豪華な皿が供養の場に並べられたのです。しかしそこには、多くの召使いたちは控えていても、比丘サンガへの信と慈しみをもって自らもてなす主(あるじ)がいません。自然と比丘方の足は遠のきました。あるいはお城で托鉢をして、そのごちそうを信者の家に持って行き、お城の豪華なごちそうは彼らに渡し、粗末な食事であれごちそうであれ、信者たちの準備した食事を食べることもありました。

ある日の食事時、珍しくておいしい果物がたくさんお城に届けられました。王は、「ちょうどいい。これはサンガにお布施しなさい」と命じ、それらを供養の場に運ばせました。人々が果物を持って行ったところ、一人の比丘も見当たりません。彼らは、王にそのことを報告しました。

「王様、比丘方は誰もおられませんでした」
「なぜであろう。今はお布施の時間であろう」
「さようでございます。しかし比丘方は、ふだんから、こちらに托鉢に来られても、こちらでは召し上がらず、信者方のところに行かれ、こちらのごちそうは信者方に渡して、粗末なものであろうがおいしいものであろうが、信者方の作られた食事を召し上がっておられます」
「城の食事は豪華で美味であるのに、比丘方はなぜ、他の食を求めようとするのであろう」。

王は、「これはブッダにお訊きしてみよう」と思い立ち、祇園精舎に行って釈尊に会い、そのことをお尋ねしました。

釈尊は、「大王よ、食事には、何よりも信が大事です。お城では信と慈悲をもって食事のお布施を供する人がいません。ゆえに比丘たちは、食事を携え、信ある人々のところへ行って食事をするのです。大王よ、信に比べられる味は、どこにもありません。信のない人のお布施した食事は、それがたとえ四種の蜜であったとしても、信ある人がお布施した野生の雑穀粥にも及ばないのです。昔の聖者も、病を得た時、国王がおいしくて滋養のある病人食を用意しても、主治医を遣わして薬を飲ませても、病気は治らなかった。ところが、信ある人のところで塩気のない野生の米で作った粥と味もついてない葉物料理を食べただけで、すぐに元気になったのです」と、王に請われるままに過去のことを話されました。

 

昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はカーシー国のバラモンの家に生まれてカッパと名づけられ、子供の頃はカッパ坊やと呼ばれました。成長してタッカシラーであらゆる学芸を修めた菩薩は、出家して修行の道に入りました。

その当時、ケーサヴァ仙人という行者が五百人の弟子と共にヒマラヤに住んでいました。菩薩はその仙人の弟子となり、懸命に学んで修行し、ついに一番弟子になりました。菩薩はケーサヴァ仙人を敬愛し、師の役に立ちたいと常に思っていました。二人は互いに篤く信頼しあっていたのです。

ある時、ケーサヴァ仙人は、弟子の行者たちを連れて、塩気と酸味のものを得るためにバーラーナシーに下り、王の御苑に泊まりました。そのことを知った王は、翌朝、彼らを城に招いて食事のお布施をし、雨期の間御苑に滞在してもらうように申し入れ、仙人の承諾を得ました。

雨期が終わると、ケーサヴァ仙人は、王に挨拶して出立を告げました。王は「尊師、あなたは歳を取っておられる。尊師はどうぞ、この御苑にお住まいになってください。ヒマラヤには若い行者方だけ戻られるのがよいでしょう」と申し出ました。ケーサヴァ仙人は王の申し出を承諾し、一番弟子である菩薩に弟子の行者たちを連れて山に戻るようにと告げました。菩薩は皆を連れてヒマラヤに戻り、彼らと共に修行生活を送り始めました。

ところがケーサヴァ仙人は、信頼しているカッパ行者(菩薩)と離れて住むうちに気持ちが鬱(ふさ)ぎがちになり、安眠できなくなりました。体の調子も悪くなり、食事がうまく消化できません。そのうちに赤痢になって、激しい痛みに苦しむようになりました。

心配した王は城の主治医に仙人を手厚く看護させましたが、病状は良くなりません。ケーサヴァ仙人は、「私の体を心配してくださるなら、私をヒマラヤに連れて行ってください」と頼みました。王は承諾し、ナーラダ大臣に、「尊師をヒマラヤにお連れしなさい」と命じました。ナーラダ大臣は、寝台に横たわった仙人を家来に担がせてヒマラヤに送り届け、都に戻りました。

ヒマラヤに戻ったケーサヴァ仙人は、カッパ行者を見たとたんに心の病が癒え、ふさいでいた気持ちが晴れて元気になりました。カッパ行者が塩気のない野生の雑穀で作った粥と、味のついてない茹でた青菜を持ってきたところ、それを食べたケーサヴァ仙人の体はすぐに回復し、とても楽になりました。

しばらくして、バーラーナシーの王は、ナーラダ大臣に、仙人の様子を見てくるように命じました。ヒマラヤに来たナーラダ大臣は、仙人が健康を回復して元気になっている様子を見て、仙人に尋ねました。「王家の主治医の懸命の看護でも治らなかったあなたの病を、カッパ行者はどのようにして治したのですか?」「カッパの言葉は私を喜ばせ、私の心は癒された。カッパが私に与えた塩気のない雑穀の粥と、味もついてない葉物を食べ、私の体は回復しました」。そして、二人は、詩句で会話を交わしました。

(ナーラダ大臣)
望むものは何でも得られる
王が住む都を去り
なぜに尊者ケーシーは
カッパの庵を快しとするのか

(ケーサヴァ仙人)
こころ和む樹々に囲まれ
カッサパの愛語が降り注ぐ
この場所はナーラダよ
われを楽しませる

(ナーラダ大臣)
滋養ある肉料理や
サーリ米のご飯などを食されていたのに
その塩気なき粗末な雑穀が
なぜお気に召されるのか

(ケーサヴァ仙人)
美味なるも 美味ならざるも
多きも 少なきも
信頼ありてこそのもの
信頼は最上の味なり

ナーラダ大臣はそれを聞いて都に戻り、王にケーサヴァ仙人の言ったことを話しました。

お釈迦さまは「その時の王はアーナンダであり、ナーラダはサーリプッタであり、ケーサヴァ仙人はバカ梵天(ぼんてん)であり、仙人の一番弟子カッパ行者は私であった」とおっしゃって、話を終えられました。

スマナサーラ長老のコメント

この物語の教訓

教訓は簡単です。こころを込めて作った料理は、美味しいのです。おふくろの味、手作り、家庭の味、などの言葉は、よく耳に入ります。それも料理を評価する言葉なのです。このジャータカ物語は、料理に対する人間の信仰を認めています。義理や義務で作る料理が、人間に気に入られないのは不思議なことです。収入を得る目的だけで作って売っている料理を食べると、胃がもたれます。ここで話を終わると、迷信的な考えではないかと思われるでしょう。

料理とは、命なのです。栄養を摂ることで我々は生きているのです。仏教では、命とはこころのことになります。こころとは、他人のこころと簡単に通信するものです。生命の肉体は、物質を入れるだけで維持管理できません。食べたものを消化して、栄養素を吸収して各細胞で消費することは、こころの管理のもとで行うのです。精神的に落ち込んでいるときは、食欲も落ちるのです。代謝機能も落ちるのです。こころの働きと食べ物の関係は、切り離して考えてはいけないのです。

現代では、WHO(世界保健機関)が発表している数字のチャートを見て、自分の食事を管理しようとしているのです。だからといって、現代人は昔の人々より健康で生きていると言い切れません。知識中心にして食べ物を摂取すると、こころは汚れるのです。肉体に対する愛着が強くなるのです。身体の健康ばかり心配すると、怒りでまた汚れるのです。スマートな身体を保ちたいと思うと、見栄で、慢で、こころが汚れるのです。汚れたこころで栄養を摂取すると、身体には負担になるだけです。病気を避けようとするところが、わけの分からない病気にかかるという結果にもなるのです。

食べ物を作るときも、作った食べ物を給仕するときも、道徳があります。慈しみのこころで料理を作ること、給仕することです。相手が元気になってほしいと、素直に念じて作ることです。心配する気持ち、思いやりが必要なのです。ですから、たとえ食べ物がお粗末であっても、信頼する人の料理は美味しいのです。身体にも良い影響を与えるのです。人は身体のことを心配して健康を気にするならば、先にこころのことを心配したほうがいいと思います。